Eterinty 永遠の誓い 2




「──ん……」

痛みを感じる身体を起こしてみると、そこは固く、ひんやりとした石の床の上だった。薄暗いその中で目を凝らすと、鉄格子が見える。

「ここは……」

牢屋だと思われるその場所にキラはまた愕然とした。一気に顔が青ざめていく。

「や、やだ、ここから出して!」

縋りつくようににその格子を握りしめて叫ぶけれど、自分の声が虚しく響くだけだった。

(アスラン、アスラン……っ)

──あんなに誓ったのに……傍にいるって……!
抱き合っていたのが、まるで遠く昔のことのように感じる。


『アスランは間もなく結婚する』


ふいに頭の中でパトリックの低い声が響いた。

「あ……」

アスランは結婚をする。だから、ここから出られたとしても、もう傍にいることはできない。

「……そうだよね、元々ここは僕みたいなのがいる場所じゃなかったんだ……」

アスランがいくら好きでたまらなくても、相手は一国の皇子だ。今まで一緒にいられた方が夢みたいな話だったのに……。
涙が溢れてきて頬を伝う。

(あの時……)

アスランが助けてくれなければ、自分はきっとあの森の中で死んでいた。

「でもこんな想いするなら……あの時アスランに会わずに死んでた方がよかった……っ」

キラは泣き崩れて、冷たい床に蹲った。

「う…ふぇ…っ…」

アスランが綺麗だと言ってくれた身体も汚れてしまった。
違う。もともと汚れていたのだ。

「………」

涙で濡れた顔を上げて暗い牢の中を見渡す。当たり前と言えばそうだが、薄汚れた毛布があるくらいで、余分な物は一切置いていない。
ふと見下ろすと、着替えさせられたと思われる新しい服に巻かれた腰紐が目に入った。

「これなら死ねるかな……」

解いた紐を手にして呟く声は、自分でも驚くほど冷めた声だった。
キラは紐を壁の上部についている燭台に引っ掛けると輪を作る。 寝台の上に乗り、背伸びをすると首に輪をかけるのにちょうどよい高さになった。

(恐くなんかない……あの時に戻るだけ……)

森で死ぬはずだったあの時に戻るだけ。そして、これで身を引き裂かれるような痛みから逃れることができるはず──

「…さよなら…アスラン…」

ぎゅっと目を閉じ、寝台から飛び下りようと息を飲んだその時、重たい音をたてて扉が開く音がした。そして石の床にコツコツと靴音が響く。

「っ、あ……!」

焦ったキラは、首を上手く引っ掛けることが出来ず、床に落ちてしまった。ドサッ、と倒れ込む音に足音が速まる。


「キラッ」


(……この声……)

床にうつ伏せた顔をそっと上げる。

「──アス……ラン……」

薄暗い鉄格子の向こうに見えたシルエット。
それは息を切らし、眉を歪めたアスランだった。

「キラ、大丈夫か?」
「アスラン……どうして……ここに……」
「それよりお前今のは……、ッ!」

キラの後ろで揺れている紐の輪を見てアスランが絶句する。

「……お前……まさか……!」

キラに問いかけるアスランの声は震えていた。

「う……だって……だって、僕もう…アスランの傍にいられないんだもん…っ」

キラはぼろぼろと涙を溢しながら呟く。

「王様がアスランは結婚するからって!僕は邪魔なんだって!それに……僕……」

汚れた身体で生きていくのが辛い。思い出して嫌悪が込み上げてくる。

「キラ、だからってお前が死ぬなんて……」
「だってアスランの未来に僕は必要ないんでしょ?僕なんかいないほうがいいんだ……っ」
「キラ!落ち着け!」
「いやぁ!」

こんな風にアスランに会いたくなかった。
蹲って泣き叫ぶ身体を、鉄格子の間から伸びてきた腕が引っ張る。

「キラ……!」
「や…ンっ」

泣きわめく唇を塞がれた。唇に触れた覚えのある温かさに身体から力が抜ける。

「…あ……」

ゆっくりと離れるアスランの唇に息を吸い込むと、しゃくりあげていた涙が止まった。

「…キラ、すまない……」

悲痛な表情を浮かべてアスランが口を開く。

「こんな想いをさせるためにおまえを傍に置いていたわけじゃないんだ。俺がここに連れて来さえいなければお前は……っ」
「……アスラン……」

悔しそうにギリッと歯を噛み締める音がする。

(あ……)

『あの時アスランが助けてくれなければ』

そう思った自分の声が頭に響いた。
あの時アスランが助けてくれなければ、自分はあそこで死んで、確かにこんな辛い想いはしなかったはずだ。だけど──

「アスラン、違う……僕はアスランに会えて幸せだったもん……」
「キラ……」

アスランに助けられ、優しくしてもらって、キラはアスランのことが好きになった。そしてアスランもキラを愛してくれて……。人を想うことがこんなにも幸せなことなのだと、キラは初めて知った。

「だからアスランは苦しまないで…?僕が死んでアスランが苦しむなら僕、生きるから……」

死んだら全て忘れてしまう。アスランからもらった大切な気持ちをやっぱり忘れたくなどない。

「僕はもう大丈夫だから……でも傍にいられない代わりに、せめてアスランを想うことは許してね……」

この先、自分が生きる場所はアスランと離れた所だ。そこで彼を想うことくらいは許してほしい。

「キラ……」

必死で涙を堪えるキラを見ながらアスランが首を横に振る。

「どうして…っ?迷惑にはならいようにするから……!」
「違うんだ、キラ。話を聞いてくれ」

思わず格子を掴んだキラの手に、アスランの手が重ねられた。

「──キラ、俺は結婚しない」
「え…」
「今日、ラクスの所に断りに行ってきたんだ。その間にこんなことになってしまって……。でも父上に陽動をかけてもらうよう頼んだから、今は手薄になっているはずなんだ。だから……」

そう言いかけて、キラの手を握ったアスランの手に力が入る。


「──逃げよう、キラ」
「え……?」


思いがけない言葉にキラの思考が止まった。

「ここから逃げて、どこかで一緒に暮らそう?」
「な……なに……言ってるの……?」

考えてもみなかったその言葉に、キラはただ大きく目を見開く。

(アスランが……僕と……)

それが本当にできるのなら、ここから逃げてアスランに飛びつきたい。
でもアスランは皇子なのだ。

「そ、そんなこと出来るわけないじゃん……だってアスランは……!」
「わかってる……だけど国よりも大事なものを見つけたんだ」

アスランは真っ直ぐ、そして真剣な瞳でキラを見つめる。

(アスランが、国を捨てる──?)

決心ともいえる強い光を放つエメラルドに、事の重大さを感じてキラの小さな身体はかたかたと震えはじめた。
国と自分──比べたって自分の価値は一目瞭然だ。自分は塵にも満たないのに……。

「そんなのだめだよ、だってこの国はどうなるの?それに、アスランならきっといい王様になるから……」

アスランの傍にいたからキラだからわかる。彼がどんなにこの国を考えていたのかも……。それを自分の為に無駄にしてはだめだ。

「ありがとう、そう言ってくれただけで嬉しかった。だからもう……」

精一杯の笑顔を作っているはずなのに、涙が溢れてきて視界を歪ませる。

「……じゃあ何で泣いているんだ?」
「っ……」

慌てて袖で涙を拭って「もう泣いてない」と言いたいのに、それは止まらなくて。キラは顔に袖を押し付けたままうつ向く。

「キラ、お前は本当にそれでいいのか?俺はおまえの本心が聞きたい」

頭上で響くアスランの声。本心を話してしまったらきっともう止まらなくなる──キラは泣き声を必死に押し殺した。

「キラ……」

少しの沈黙の後、アスランが口を開く。

「『皇子』ではなくなる俺では駄目か?」
「っ…!」

アスランの問いかけにキラは慌てて顔を上げる。アスランは悲しげに微笑んでいた。

「違…っ!アスランが皇子だとか、皇子でないとかそんなの関係ないっ!僕はアスランだから好きなんだ!」
「なら聞かせて、キラの望むことを……」
「……言って……いいの……?」

見下ろしながら頷くアスランにもう抑えは効かなくて。


「僕は……僕はアスランといたい……!」


本当は言いたくてたまらなかったその想いを叫んだ。

「……やっと言ってくれた……」
「アス…ラン……」

安堵の笑みを浮かべながら、格子の間から伸びたアスランの手がキラの頬を撫でる。

「地位も名誉もいらない。キラがいれば……」
「ほんとに……ほんとにいいの……?」
「あぁ。俺はキラと生きていきたい」
「う……僕も……アスランと……っ」

また大粒の涙でアスランが見えなくなった。「キラ」と名前を呼びながら涙を拭う彼の指は温かくて。

「ふ……アスラン……」
「キラ、一緒に行こう。だからもう泣くな」
「…う…ん……っ」

頬を包む大きな掌にキラはしっかりと頷いた。










王族しか知らないという秘密の抜け道を通って城の外に出る。目の前に広がる青空を久しぶりに見た気がした。

「キラ、こっちだ」

キラは手を招くアスランの方に駆け寄る。


「──どこにいかれるのですか?」


突然、背後からかけられる声に慌てて振り返ると、そこにはレイがいた。

「せっかくキラを離したのに、まさかあなたがこんな真似をするとは思いませんでした」
「レイ、おまえ、キラに……!」
「私は、ただあなたに王位について頂きたいだけです。その為に不要なものを排除しようとしたのですが……」

近づいてくるレイにアスランが剣を抜く。レイが驚いたように表情を変えたのを見て、アスランは剣を構えながら話しだした。

「レイ、すまない。ずっと俺に仕えてくれていたおまえの気持ちもよくわかる。だが──」
「……本気なのですね」

アスランをじっと見つめていたレイは目を瞑って小さく息をつく。

「あなたと剣で戦ったら、勝てるはずがありませんから」

向き直った顔には柔らかな表情を浮かべていた。

「林の中に馬を用意してあります。最後の忠誠の証として、それを使ってください」
「レイ……」
「どうかお元気で」

レイは敬礼をし、城の中へ戻っていく。アスランは沈痛な面持ちで、剣を鞘に収めた。

「アスラン……」
「キラ、レイを恨まないでやってくれ。あいつは俺と、この国のことを思ってしたんだ」
「うん、わかるよ……」

レイが信じてきたものを自分が奪ってしまったのだ。
 ──でも、もう譲ることも諦めることもできない。

(ごめんね、レイ……)

二人は手を取り合って無言のまま進んだ。林の中にはレイが言った通り、一頭の馬が木に繋がれている。

「……これからどこに行くの?」
「少し遠いけど教会があるんだ。そこの導師様に力になってもらおうと思う」

キラを抱きかかえ、馬に乗せると、その後ろにアスランも跨った。

「心配か?」
「ううん、アスランと一緒ならどこでも恐くないよ?」

アスランと一緒にいられるのなら、他に望むものはないのだから。

「行くぞ」

手綱を振ると馬が動きだす。

(ありがとう、それからさよなら……)

アーサーにミリアリア、ムウ、世話になった城の人たち。そしてレイ……。思い出すと少し寂しくなる。でもずっとここで暮らしてきたアスランはもっと辛いはずだ……。
アスランの顔は見ないように、キラはそっと横目で城を見上げた。






◇◇◇





「わ……!」

風を切るように走る馬の背で、キラが声を上げる。

「どうした?」
「僕、馬に乗るの初めてだから、すごいなぁって思って」
「そうだったな……落ち着いたら、キラにも馬の乗り方を教えてやるよ」
「ほんと?」

キラが思わず後ろを振り返ると、アスランが笑って頷いた。
これからこうやってアスランと生きていくのだ──そんな未来にキラの胸は高鳴って。これから向かう先に期待を膨らませながら向き直ったその時だった。

──シュン……ッ!

突然、空気を引き裂くように鋭く、線状のものがキラたちの横を掠める。それに反応した次の瞬間、ドスッ、と鈍い音が耳に入った。馬が鳴き、頭首を持ち上げる。

「く……ッ!」

アスランがキラを抱えて馬から飛び降りる。重い音を上げて倒れた馬の後ろ足には、深々と矢が突き刺さっていた。

「あ……」
「キラ、来い!」

状況を理解できず、呆然とするキラの腕をアスランが掴んで走り出す。そのまま二人は林の中に入った。

「ア、アスランッ?」
「追手がかかった!」
「追手…!じゃあ……っ」
「あぁ、やはり簡単には行かせてはくれないようだな、父上は」
「あ……」

瞬時にパトリックの顔を思いだす。確かに皇子が逃げだしたとわかって、放っておくようなタイプではなかった。
生い茂る草を掻き分けて奥へと進む二人の後ろから、今はまだ遠い馬の鳴き声が聞こえる。しかし追い付かれてしまうのも時間の問題かもしれない。

「あ…っ」

追いかけられる恐怖に身を硬くしたキラは、木の根に脚を取られ、転んでしまった。

「キラ、大丈夫か?」
「ごめん、大丈夫、……あれ?」

キラは慌てて立ち上がろうしたが、腰が抜けてしまっているのか、脚がいうことを利かない。

(こんなところで腰を抜かしてる場合じゃないのに…っ)

焦るキラにアスランが手を伸ばした。

「ほら、掴まれ」
「ごめ…アスラン……」

その手を掴んだその時、アスランが何かに反応して顔を上げる。キラも同じように神経を研ぎ澄ませば、馬の蹄が土を蹴る音が聞こえた。

「アスラン……!」
「キラ、こっちに……!」

竦んだ身体を抱えられ、茂みの中に身を隠す。覆い被さるアスランの腕の中でキラは息を殺した。
──もし見つかってしまったら……!
こんなことをしてしまった自分たちは、きっともう二度と会えないように離されるはずだ。

(嫌だ……もう離れるなんて……!)

アスランの服をぎゅっと握る。震えてしまうキラの身体をアスランが強く抱きしめた。
蹄の音は先ほどよりも明確に聞こえてくる。
カチャリ、と聞こえる金属音に顔を上げると、表情に決意を灯したアスランが剣を鞘から抜くところだった。

「た、戦うのッ?」
「キラはここにいろ。けれど、なにかあれば逃げるんだ」
「や…やだ、そんなの…!アスランは……アスランはどうなっちゃうの?」

自分をかばうつもりだ──でも、それでは……!

「やだよ、アスランを失ったら僕……!」
「だがこのままでは……!」
「なら僕も戦う!アスランと離れるより恐いものなんて他にない!」

敵わないことくらい予想はつく。それでも離れたくなかった。

「俺だっておまえを失ったら……ッ」

必死にしがみつくキラを見下ろし、アスランは沈痛な表情を浮かべる。見つめ合ったまま沈黙が続き──そして、アスランがそっと口を開いた。

「──なら、いっそのこと、一緒に黄泉の国にでも行くか?」
「え……」

静かに紡ぐ彼の言葉に、キラの瞳が大きく見開く。
アスランは悲しそうに微笑んで。彼の言うそこがどこを指すのか、キラにだってわかる。

「うん……アスランと一緒にいられるなら、どこにでも行く……」

それが例えこの世でなくても。
頷くキラにアスランは小刀を取り出すと、それを手に持たせた。

「俺たちはずっと一緒だ……」
「……うん……」

最後のキスをして。すぐ側まで聞こえる罵声に、キラは抜いた刃を胸に突きつけた。


「お〜い、おまえら、その辺にいるんだろ?」


突然、聞き覚えのある声が静寂を破る。

「ここはもう大丈夫だから出でこいって」
「まさか……ムウ……?」

不信に顔を強張らせながら二人は茂みから顔を出した。

「お、やっぱりいたか」

二人の姿を見つけ、ムウは馬を降りて歩み寄る。が、アスランは警戒を解かなかった。抜いたままになっていた剣をムウに向ける。

「……おまえも俺たちを追ってきたのか?」
「おいおい、これはないだろ?これでも俺はおまえたちの味方だぞ」

ムウは両手を上げて笑ってみせて。

「どうせこんな事だろうって思って、追跡隊を買って出てきたってわけだ」

そう言った後、急に表情に変えた。

「アスラン……パトリック様の出した命令は、お前たちを捕えるか、抵抗する場合は殺しても構わない──だ」
「ッ!父上…」

剣を握ったアスランの手に力が込められるのが見える。

「皇子が国を捨てて逃げたと知られれば、王家の名誉に関わる。それなら──ってとこだろうな……」

悔しさに唇を噛みしめるアスランにムウも息をついた。そして、もう一度アスランを見据える。

「兵たちにはこの先の林の中を探すよう指示してある。今なら反対側から抜けられるぞ」

アスランは驚きの目をムウに向けた。

「お前が何で…そんな……」
「俺はこの坊主に幸せになってもらいたいだけさ」
「え……」

ムウはアスランに寄り添うキラを見下ろす。

「さぁて、グズグズしてると兵たちがこっちにも来るぞ。どうする?」
「……行くに決まっている」

アスランは深く頷いて、キラを抱きかかえようとした。その腕をキラは押し返す。

「キラ?」
「大丈夫。もう歩けるよ」

竦んだ身体を奮い立たせ、笑ってみせた。二人が自分のために手をつくしてくれているのに、その自分が何も出来ないのは悔しい。
だから自分に出来ることを……例えそれが微力であっても。

「キラ……」

決意を表情に浮かべるキラにそれを感じ取ったのか、アスランも固い表情を緩め、手を差し伸べる。キラはその手を強く握った。
──今、自分が出来ること。この手を離さないで、どこまでもついていくこと。

「行くぞ!」
「あぁ」

先導するムウの向こう。林の奥を見据えた。






暫く歩き続けていると、薄暗かった林に光が射しだす。さらに足を進めると木が開け、草原が顔をだした。
後ろからも追っ手はいない。どうやらムウの言った通り、抜けられたようだ。

「ここまで来ればもう大丈夫だろ」

ムウはほっとしたように呟き、連れていた馬の手綱をアスランに差し出した。

「俺の馬を使えよ。これからどこに行くか知らないが、おまえのことだ、宛てがあるんだろ?」
「あぁ。だがムウは……?」
「さっきの林に信用できる部下を待たせてある。何とかなるさ。そのかわり、おまえのマントもらえるか?俺にもちょっと考えがあるんでね」
「マントなんかどうする……」

首に巻かれているマントを指差され、アスランは眉を寄せる。ムウは「まぁ聞けって」と自信ありげな表情を見せた。

「この先に流れが急な川がある。おまけに断崖絶壁。追い詰められたおまえたち二人はそこから飛び降りたって寸法だ」
「……マントは証拠か?」
「そうだ」

頷くムウにアスランは黙って考え込む。そして何か思いついたように顔を上げた。

「ムウの剣、少し貸してもらえるか?」
「あぁ、別にいいが、たいした剣じゃないぞ?」

ムウから渡される剣を受け取ったアスランは、マントを外すと地面に落とす。

「アスラン、何する──、あっ!」

アスランのすることをただ横で見ていたキラは、彼のとった行動に驚愕の声を上げた。
袖を捲った腕になんのためらいもなく、アスランは鋭い刃を引いて。そこから溢れた鮮血がマントに落ちては染みを作っていく。

「おまえ…っ!」
「戦って追い詰めたと言えば、真実味も増すだろ?」

キラと同じように驚きに目を剥いたムウに、アスランは血のついた剣をつき返した。 その間にも切れたそこからは次々と血が流れる。

「や…アスラン、血が……!」
「大丈夫だ、このくらい」

掌で腕を押さえるアスランを目の前にして、キラは動転しながらも何とかしなくてはと駆け寄る。

(とにかく血を止めなくちゃ……!)

服の裾を噛んで思いきり引っ張ると、そこは音をたてて裂けた。それを震える指先で必死に傷口へ巻きつける。

「ごめんなさい、僕のために……こんな……っ」
「キラ、大丈夫だから……」
「う…ほんとに…?」

キラ一人のためだけではない。二人の未来を守るため。そのためならどんなことだって出来る──。
安心させるように微笑んでみせるアスランに、黙って見ていたムウが息をついた。

「おまえたちには敵わないな……」

落ちていたマントを手に取るムウを、アスランは真っ直ぐと見つめた。

「ムウ、頼むな。──国のことも……」
「あぁ……と言っても、俺は権力争いに関わるつもりはないがな。まぁ何とかなるさ」

ムウはアスランに目配せをすると、そろそろ行けよと急かす。二人は頷き、馬に跨った。

「……キラを幸せにしてやれよ」
「言われなくてもそのつもりだ」
「言ってくれちゃって……ま、元気でな」

馬上の二人を見上げてムウが手を振る。

「ムウさん、本当にありがとうございました。あなたも、どうかお元気で」
「あぁ」

手綱を振るい、動き出した馬の背でキラは別れを告げた。
──第一印象は最悪だったし、からかわれてばっかりだったけれど……。
キラは心の中でもう一度ありがとうと呟く。きっとこの先も忘れないだろう。

『幸せにしてやれよ』

アスランに告げた彼の言葉。

(僕もアスランを幸せに出来たらいいな……)

速度を増す馬にしがみつきながらキラはそう思った。






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